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【メディア掲載のお知らせ】日伊協会会報クロナカ165号


イタリアの小さな酒屋の底力 

エノテーカ・イタリアーナとアンティーカ・エノテーカ・カリアリターナの物語


「サルデーニャのワインが知りたいなら、僕のおじさんの店に行ってごらん。アンティーカ・エノテーカ・カリアリターナって言うんだ。面白いから。」とシェアリングカーの運転手が言った。陽光あふれる南サルデーニャの港湾都市カリアリ。そこからまっすぐ北東へ向かい内陸の山岳都市ヌーオロへ。約180キロを2時間かけ、マイカーで通勤している人

の車に今朝は私が同乗させてもらっている。早朝6時に約束の場所で待ち合わせ。4月はまだ薄暗い朝のドライブの道すがらの何気ない会話だ。

「ふーん、エノテーカ・カリアリターナねえ…。」

 車は高速道路をひたすら真っすぐに走る。緑の平原となだらかな丘陵がぽつぽつと見える他に、景色はほとんど変わらない。カンピダーノ平原を抜けて、オリスターノをすぎると、ようやくあたりが明るくなってきた。

アンティーカ・エノテーカ・カリアリターナ。(Antica Enoteca Cagliaritana)名前から

想像するに、カリアリではそこそこ古い、名前の知られた酒屋なのだろう。これも縁だ。

よし行ってみるか。

「わかった。カリアリに戻る時に訪ねてみるね。ありがとう。」

やがて車は徐々に標高の高い山岳地帯に分け入っていき、ついに目的地ヌーオロに到着

した。甥っ子はハンドルを切り返してせわしなく職場に向かって走り去っていった。「必

ずおじさんの店を訪ねて!」と念押ししながら。


 ヌーオロ訪問最大の目的。それは”イル・リフージョ”で内陸のバルバジア地方の繊細か

つ滋味豊かな郷土料理をみっちり体験すること。そしてサルデーニャ考古学博物館

(MUSEO ETNOGRAFICO SARDO)の膨大な収蔵品を観ること。そのふたつを果たしたら

明日は再びシェアリングカーを探してカリアリに戻らなければならない。

ここサルデーニャで残されている時間は多くはない。しかし善良な地元の人が勧める身

内の酒屋なら、これはぜひ見に行かなければ。

ヌーオロからカリアリへの帰路は小型犬を連れたカップルの運転のまことに賑やかなこ

と。若いふたりはこれもまた親切に、街はずれのエノテーカ・カリアリターナの前で私を

下ろしてくれた。サルデーニャの人は軒並み親切だ。イタリア本土の大都市の人よりもの

んびりして、どこか気持ちにゆとりがある。カリアリの街に吹く柔らかな汐風が、明るく

柔和な人の気質を育むのかもしれない。


“酒屋1935年創業”とイタリア語で書かれたちょっと古風な木彫りのデザインの看板の前

に立つ。昔の間口一間分くらいの幅しかないが、奥は意外なほどに広い。入り口近くに磨

き上げられたホンダのバイクとヴェスパが飾ってある。店主の趣味なのだろう。やおら奥

から青いニットの似合う品の良い白髪の男性が現れた。先客とおもわしき背広姿で格好良

くきめた紳士は、店主にワイン選びを手伝ってもらっていた。大きな紙袋を両手いっぱい

に下げ、店の前に横付けしたメルセデスベンツに乗ってエンジン音も勢いよく帰っていく

。その後もひっきりなしに地元客がやってきて、店主に相談している。地元の富裕層に支

持されているなら、かなり信用がおける店にちがいない。

「何かお探しで?」「はい。私はイタリアワインのソムリエです。サルデーニャのワイ

ンをもっとよく知りたくて。あなたの甥御さんにこちらを訪ねるよう言われたのです

。」「ああそう。よく来たね。こちらへどうぞ。」右手奥に案内される。広間は右も左も

正面も柱の周りもワインの棚。天井まで隙間なくぎっしりと並べられている。一番左奥に

7₋8人が腰かけられそうなバーカウンターがある。中央には堂々たるビリヤード台が緑色

のランプにぼんやりと照らされている。これは単なる酒屋ではない。店主の趣味とこだわ


りが随所にちりばめられたギャラリー。いわば大人の社交場。独特な世界観に圧倒され、

どんどん惹き込まれる。


棚に目をやれば、日本はもとより、ボロ

ーニャのエノテーカ・イタリアーナでも見たこ

とのない、サルデーニャのニッチなカンティーナ(cantina≒ワイナリーの意)のワインが

所狭しと並ぶ。ざっと見渡すと全体のおよそ7割がサルデーニャ島のワイン。2割がイタリ

アの主要な銘醸ワイン。残りの1割がさまざまな蒸留酒か。蒸留酒はスコッチ、ウィスキ

ー、グラッパ…日本のウィスキーも豊富にある(!)。素晴らしい。まるでサルデーニャ

ワインと世界の高級酒の博物館のようだ。しかし、島の街はずれの酒屋がなぜこれほどのコレクションを…?

それもそのはず。元来サルデーニャ島は、古代の巨石文化(ヌラーゲ)の時代が千年以

上も続いていた。その後も中東系のフェニキア人が現在のレバノンのあたりから渡来して

地中海交易の拠点とした。さらに中世の十字軍の時代を経て西からスペインのアラゴン家

がやってきて支配した。もっと時代が下ると、今度はフランスのサヴォイア王家のサルデ

ーニャ・ピエモンテ王国が成立し、統一イタリア王国の前身となった。ひとことにサルデ

ーニャといっても、地中海世界全体から多様な民族が交差する、”複雑な歴史が積層する島

”(陣内,2004,p10)なのだ。


 カリアリは、そのサルデーニャ随一の州都であり、50万人の大都市である。カリアリの

別名をサルデーニャ語でカステッドゥ(CASTEDDU)と呼ぶ。これは『城』の意味で、海

から見たとき、丘に広がる街そのものがひとつの塊の城のように見える見事な名前だ。日

本でも城下町の人びとは街のシンボルの城に自然と誇りを持つ。同様にカリアリ人も誇り

高い。旅人への親切心と柔らかい物腰に、かつてのサルデーニャ王国の誇りや自信を終始

旅の合間に垣間見た。


カリアリに限らず、イタリアの都市で営む名だたる酒屋は、そこに暮らす地元住人の生

活文化レベルと知的好奇心に応え続けなければならない。エノテーカ・カリアリターナの

品揃えとコレクションはまさにそれを反映している。イタリアのエノテーカ(酒屋)は地

域の文化の鏡である。

さて、もう少しサルデーニャのワインに目を向けてみよう。サルデーニャ島が隣のコル

シカ島とともに海から土地が隆起して陸となったのは約3億6千年前の石炭紀。イタリア

半島がヨーロッパ大陸に衝突してアルプスができるよりも前だ。その後、約15万年前にオ

リエントにルーツを持つ古代の民が流れ着き住み着いた。謎めいた塔(ヌラーゲ

nuraghe)が建てられた時代には対岸のイタリア半島の先住民エトルリア人とも交易して

いた。交易品にはおそらくワインも含まれていた。西地中海の中央に位置するサルデーニ

ャ島は、中東や北アフリカ、イベリア半島からもさまざまな民族が往来した。彼らがサル

デーニャ島に持ち込んだ(あるいは持ち出した)ブドウ品種から、サルデーニャ島の固有

の気候、地質、自然環境に順応して土地に根付いたものだけが生き残った。人びとの生き

る糧のブドウ栽培とワイン造りの、千年単位の営みを通じて独自の進化を遂げた。

そのなかには黒ブドウのカンノナウをはじめモニカ、カリニャーノ、ジロなどがあり、

白ブドウにはヴェルメンティーノやヌラグス、ナスコ、ヴェルナッチャ、マルヴァジアな

どがある。まさにサルデーニャは地中海交易で培われたブドウ品種の宝庫である。

第二次世界大戦後の1970年代以降はサルデーニャ島を代表する原産地呼称のワイン、た

とえば重厚な赤ワインのカンノナウ・ディ・サルデーニャ(Cannonau di Sardegna

DOC 1972年制定)や、琥珀色をしたシェリーを思わせる白ワインのヴェルナッチャ・デ

ィ・オリスターノ(Vernaccia di Oristano 1971年制定)、フレッシュでフルーティーなヴ

ェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ(Vermentino di Gallura DOCG 1996年制定)などの原産地呼称(Denominazione Origine Controrata/e Garantitaの略)が次々と生まれた。いまやサルデーニャのワインは世界的な名声を獲得しているが、その背景にはサルデーニャ

の独自の自然環境と、複雑極まりない歴史文化的背景が見え隠れする。


ボローニャのエノテーカ・イタリターナに話を戻そう。

私は海外出版の仕事から数えて約20年近く、北のエミリア・ロマーニャ州の大都市ボロ

ーニャの酒屋、エノテーカ・イタリアーナを観察してきた。初めの12年間は外側からひと

りの外国人客として。そしてソムリエ見習いで内側に入ってからは、店主を始めソムリエ

全員と共に毎年ヴェローナで開催されるイタリアワイン最大の展示会ヴィ―ニタリーに赴

き、ワイナリーと出会い、目利きした新しいワインを日本へ紹介する橋渡し役として。

ボローニャのエノテーカ・イタリアーナの最大の強みは、なんといってもその顧客のレ

ベルの高さにある。まず世界最古のボローニャ大学を中心とする学術都市の文化がベース

にある。そして古くは中世の運河・水運による紡績技術をルーツに持つ高級自動車関連産

業(マセラティやランボルギーニ、フェラーリ、バイクのドゥカーティなど)がある。同

じ紡績技術から派生した世界トップレベルの包装器械技術(通称:パッケージングバレ

ー)もある。ふたつの産業集積地帯から生まれる富と経済力が”食の都”ボローニャのエノ

ガストロノミア(美食文化)を支える。近年ではさらに国際展示会ビジネス、フィエラ

(fiera)が加わり、世界中から商談に外国人が訪れる。彼らが接待に利用する多彩なレスト

ランと、アペリティーボで時間をつぶせる立ち飲みワインバーの機能を併せ持つエノテー

カがある。

かく言う私も、エノテーカ・イタリアーナを最初に教えてもらったのは、当時仕事でつ

きあいのある米国の出版人だった。「いろいろなワインをグラスで楽しめる面白い酒屋が

ある」と。クチコミでのみ知り得る、外国人と地元の人が入り混じる格好のたまり場なの

だ。

忘れるわけにはいかない。ボローニャの場合、エミリア街道の交通の要衝であることも

食の豊かさを支える。ポー川流域のポー平原で生産される豚肉加工品にボローニャのモル

タデッラや、パルマのプロシュート・ディ・パルマがある。同じパルマの偉大なチーズ、

パルミジャーノ・レッジャーノはエミリア地方の郷土料理の味のベースとなる。これらの

ハムやチーズはエノテーカ・バールの立ち飲みでも欠かせない恰好のつまみとなる。

イタリアのエノテーカ(酒屋)は地域の文化の鏡である。サルデーニャのエノテーカ・

カリアリターナというもうひとつの優れた酒屋を訪ね、これまで無意識に考えてきたこと

が確信に変わった。

「12本見繕ってください。日本の自宅に送りたいのです。いったんボローニャのエノテ

ーカ・イタリアーナと言う店に送ってくれますか?」と尋ねた瞬間、店主の眼が光った。

彼はおもむろに、「もう何十年も昔に、ボローニャのエノテーカ・イタリアーナに頼まれ

て、サルデーニャのワインを集めて送ってあげたことがある」と言う。思わず耳を疑った

。驚きとともに店主の後をついていく。

「そうだな、今はどのワイナリーがボローニャにあるのか言ってみて」

「これはボローニャにはないだろう。なぜかって?私がつくっているワインだからだよ

。飲んでごらんなさい」とバーカウンターで自分が手掛けている数種類のワインを試飲さ

せてくれた。「ボローニャのエノテーカ・イタリアーナもずいぶんと有名になったけれど

、さすがに自分たちではワインを作っていないだろうね」といたずらっぽく笑った。

「これはね、godotと言うのだけれどつまりgodere,”心から喜ぶ”と言う意味だよ」

そう言って身振り手振りで笑う店主は、自分の人生を心から楽しんでいるように見えた

。最後に、奥に消えた店主が白ワインを1本持ってセラーから出てきた。

「このヴィンテージは最後の1本で、自分で飲もう思ってとっておいたのだけれど。せ

っかくだからあなたに譲るよ」と。ワインのラベルには、見慣れない像が描いてある。「

これはね、お母さんと言う意味。”ママーイ”と言う。」「このワインは面白くてね。赤ワ

インで、お父さんもある。”ババ-イ”と言うんだ、ふふふ・・・」楽しい会話をしながら

、あっと言う間に12本のワイン選びは終わってしまった。


イタリア人が「世間は狭い」と言う時、ピッコロ・モンド(piccolo mondo)と言うが、

私がこの駆け足のサルデーニャの旅でエノテーカ・カリアリターナに導かれたことは、ピ

ッコロ・モンドと言う言葉以上の、何か見えない糸のようなものを感じる。

その晩ボローニャに舞い戻って、エノテーカ・イタリアーナの店主、マルコ・ナネッテ

ィにことの始終を話す。確かに1970年代の初め、エノテーカ・カリアリターナに協力して

もらい当時はまだ珍しかったサルデーニャのワインを集めて送ってもらったと言う。イン

ターネットも携帯電話もガイドブックもない時代、本当に重要な情報は口づてで入ってき

た。そうまでして「イタリア20州全土のワインを集めて、“イタリアの酒屋”(Enoteca

Italiana)を創る」、と決意したボローニャの若者たちの熱意が知れよう。1970年代はイタ

リアワインのルネッサンスと呼ばれた時期である。新しい原産地呼称が毎年、次から次へ

と制定され始めた。ボローニャの店主マルコは20歳そこそこの若者で、カリアリの店主ラ

ファエロ(通称レッロ)も当時は40歳代だった。イタリアワインの新しい波に乗ろうとす

る当時の若者たちの挑戦は、約40年間で驚くべき成長を遂げた。それはイタリアワインが

世界に躍り出ていくのとほぼ同時期だった。

イタリア語でエノテーカ(酒屋)の主のことをエノテカ―リオと呼ぶ。ボローニャとカ

リアリのふたりのエノテカ―リオの生き方を見て、イタリアという国の小さな酒屋が果た

してきた役割とその底力を思い知った。まさにイタリアのエノテーカは地域の文化の鏡な

のだ。

参考文献 陣内秀信, 柳瀬有志『地中海の聖なる島サルデーニャ』山川出版社、2004年

櫻井芙紗子 日伊協会理事

イタリアワイン文化講座担当


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